とある届かず仕舞いの封書が出てきました。
すかさず処分しようと思いつつ
窓から差し込む光に照らされたその方のお名前はこの世にもう存在しない者。
姿形はないのに名前だけがこの世にぽつんと残る違和感を眺めながら
特別著名な方でもないこの人の名前は一体どこをひとり歩きするのだろうと
名前も生き物であったことを覚えた時間でした。
「名は体を表す」という言葉が私は好きなのですが、この気づきはそれ依然に「名は生き物である。」ということを強く指し示してくれたような感覚でもありました。
映画「千と千尋のワンシーン」で “千尋” の名前が書かれた紙の上を湯ばぁばがサッと手のひらで掬い上げ名前を消すシーンがあったかと思うのですが、まさにそんな感じ。
「名前」とは世界が変わる瞬間に誰かや何かにお返し(返納)するイメージが近いののかなと思いました。
だとすると今ここに在る(存在する)名前の込められた意味やを本質を存分に使い切りたいし、生きているうちにどれだけ-この名で体を表せていけるか-ということに意識を持って余生を過ごしたいなとも思ったのでした。
このブログを始める際にどんな形で名前を設定しようかを考える時間がありました。
最終的には-nanaka-という日本人である私と最もかけ離れたアルファベットで表すことでここにいる自分と普段の自分とを別にすることに意味を置きましたが、今日の出来事を踏まえてその考えも今一度考えさせられます。
名前が存在するうちにー
名前が生きている間にー
己の姓(生)と名(命)の一致を図ることにこだわりを持って生きること。
命と一緒に頂いた名前を大事に生きることを大切にしたいですね。
皆さんはご自身のお名前を意識されたことはありますか?
今一度授けて下さったご家族に想いを尋ねてみても面白いかもしれませんね。
お名前から広がるお話。
過去にもお名前と繋がるリーディングがありました。その後お母様とお話し下さったお客様から大変心温まるお話し頂戴する機会がございました。
そうやって私からのメッセージを温かく受け取りご家族にお話しを伺うなどして話を繋いで下さる方々にいつも魂を養って頂いているような気持ちになります。ご感想を寄せて下さる皆様、いつもありがとうございます( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
